From Mindstorms
Seymour Papert, From Mindstorms -Children, Computers, and Powerful Ideas- The New Media Reader, pp.413-431
初出
Mindstorms, New York: Basic Books, 1980.
"Computers and Computer Cultures," 19-37 and "Turtle Geometry: A Mathematics Made for Learning," 78-93.
日本語訳書籍
マインドストーム―子供、コンピューター、そして強力なアイデア (奥村貴世子訳、未来社、1995/3/1)
Introduction
1960年代初め、Jean Piaget(ジャン・ピアジェ)の弟子だったパパートは、ピアジェの提唱する構成主義をもとに教育哲学を発展させ「構築主義」を提唱した。パパートは、コンピューターを練習問題を通じて知識や技術を教えるための機械と見るのではなく、LOGOによって子どもたちがコンピューターをコントロールし、数学的概念の経験を通じて数学について学ぶことを可能にするとした。 ***
関連のある人物、記事
最初のパーソナルコンピュータが登場する以前に書かれた教育用コンピューティング問題の探究について。
ネルソンもパパート同様コンピューターによって子供たちをプログラミングすることに反対しており、メディアシステムとしてコンピュータを扱う学習方法について論じている。
人工知能のパイオニア。マインドストームに至るまでの数年間において、「私の知的人生で最も重要な人」と評した。 子供のためのコンピューターを真剣に研究しているグループとしてKayのグループを挙げている。
Further Reading
Boden, Margaret A, Jean Piaget. New York: Viking, 1979.
Durin, Allison, ed. The Design of Children’s Technology. San Francisco: Morgan Kaufmann, 1999.
Seymour Papert. The Children’s Machine: Rethinking School in the Age of the Computer. New York: Basic Books, 1993. Seymour Papert. The Connected Family: Bridging the Digital Generation Gap. Atlanta: Lngrellow Press, 1996. 本文概要
子供がコンピューターに触れるようになった昨今の教育状況において、コンピューターは子供たちの力量をはかり、それにあった練習問題を提供し、フィードバックを与えて情報を開示していく、というような使われ方がされている。パパートはこれを子供をプログラムするコンピューターと表現する。LOGO環境においてはこの関係は逆になり、子供がコンピューターをプログラムすることで、自分自身の思考(ものをどう考えているのか)を探求していくことができると主張する。
ピアジェの思考発達段階説によれば、子供の認知発達は順序立てて段階的に行われ、形式的な思考(formal thinking)は12歳ごろまで発達しないとされている。パパートは、そのような認知発達の差異が現れるのは環境のせいであるとし、構築主義を提唱した。形式的思考の発達が遅れてしまうのはそれを築くための素材が我々の文化に乏しいためであり、コンピューターによって形式的な知識により具体的に接することができるようになることで、その差異を埋められるとした。 コンピューター自体は文化ではないが、作文や作曲、複雑な作図などあらゆる文化に応用でき、それを支えることができる。パパートは、ピアジェ式学習(カリキュラムのない自律的学習)を助けるものとしてタートルグラフィックを考えた。 現在の知的環境は自らの思考に関する思考を客観的に話したり試したりする機会が乏しいが、コンピューターの導入によってこの状態を一変できる。タートルに行動や「考え方」を教えることで自分自身の行動や思考を見つめ直すことができる。学習が進むにつれて子供はより複雑なプログラムを組み、それに応じて自分の思考のより複雑な面に思考を巡らせるようになる。コンピューターでの学習は人間の物の考え方に強い影響を与えるだろうが、パパートはその影響をより建設的な方向に持っていこうとする。そして、コンピューターが子供たちをプログラムするようになるのか、子供たちがコンピューターをプログラムするようになるのかは、彼らに与えるコンピューター環境によって変わるとした。
社会や教育者の選択が子供の学びに大きな変化をもたらすが、この選択はいつも最良だとは限らない。はじめに選択したものがその後ずっと使いつづけられる危険がある。
プログラミングを学ぶには「プログラミング言語」を学ぶ必要がある。プログラミング言語には、例えばFORTRAN, PASCAL, BASIC, Smalltalk, LISP, そしてパパートらが作ったLOGOがある。プログラミング言語も自然言語と同様に特定の概念や考え方などを支持するため、プログラミング教育を行うにあたって言語の選択は注意深く行うべきである。しかし実際はアメリカにおいてほとんどの学校でBASICが使われている。この言語は低スペックなコンピューターでも扱うことができるため、コンピューターが高価だった頃は技術的理由から選ばれていた。しかし、ここ数年の技術の進歩でその利点がなくなったにも関わらず、現在のプログラミング教育においてもBASICが使われる。大勢がそれを学び、そのことについて書かれた本がたくさん出版され、この現象はどんどん進んでいる。BASICは単語が少ない言語なためごく簡単なプログラムはすぐに書くことができるが、すこし難しいプログラミングをしようとすると、そのコードは迷路のように複雑になる。このことで、大多数の子供にプログラミング、ひいては数学は近づき難いものだという印象を与えてしまう。BASICの社会への浸透は深刻な問題であるとパパートは危惧している。 最後に、パパートは教育現場とコンピューターについて以下のようにまとめている。
教育の歴史の中で根本的な変革が可能な時代にいる。そして、その変革はコンピューターの影響と直接つながったものだ。教育現場は保守的だが、その中でコンピューターは変革を促す環境を作りつつある。近い将来コンピューターは個人の私的所有物となり、教育様式の決定権が個人にもどっていくだろう。教育はより私的な活動になり、自分の考えを公開して、直接消費者に提供できるようになり、創造性や独創性に新しい機会が与えられるだろう。